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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)1973号 判決 1977年6月29日

理由

一  控訴人主張の請求原因事実及び被控訴人がその主張の土地売買残代金支払のために金額一、四〇〇万円の本件約束手形一通を訴外会社に宛て振出したことならびに控訴人が昭和四八年八月三〇日頃訴外会社から本件手形の裏書譲渡をうけたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、被控訴人主張の悪意の抗弁について判断する。

1  《証拠》を綜合すると次の各事実が認められる。右各証人及び本人の供述中この認定にてい触する部分は採用しない。

(イ)  訴外会社は三宅島農業協同組合長の平松富士雄を介して本件土地の所有者である壬生某からこれを転売の目的でその他の土地と共に買受ける契約を結び代金の一割に相当する手付金を支払つた。訴外会社の常務取締役で右売買の衝に当つた坂本精はその際平松富士雄から「所有者の壬生家は島内屈指の旧家で、島では殿様みたいな人で通つている人」と聞かされ、また本件土地は地目は畑とされているが現況は農地でなく雑木林であつたので、右売買による所有権移転の登記や引渡は間違いなく行われるものと信じていた。

(ロ)  訴外会社は昭和四八年八月二八日に被控訴人に対して本件土地を代金一八五〇万円で売渡す旨の本件売買契約を締結したが、その代金の額については両者の間にこれより先に折衝が行われ、訴外会社においては、はじめそれを二八〇〇万円と希望していたが、被控訴人が訴外会社に約束の代金支払の時期まで利用させる趣旨で、手付金四五〇万円を控除した残代金一四〇〇万円の支払のために、訴外会社に宛て契約と同時に同金額の約束手形を振出し交付することとして代金の値引が行われて右の金額に落着いたものである。右売買の手付金四五〇万円は既に同年同月七日に支払われており、右売買による本件土地の所有権移転の仮登記及び引渡は残代金支払のために振出される約束手形の満期日までにその支払と同時に行われるべき趣旨の約定がなされ、この契約成立と同時に右残代金支払の目的で両者の間に、同年一〇月三〇日を満期とする本件手形の授受がなされた。

(ハ)  被控訴人は同年七月末か八月初め頃現地に赴いて本件土地について調査の結果本件土地は訴外会社が第三者から取得するものであること、訴外会社は売主に対してまだ手付金として代金の一割を支払つたのみであることを知り、またその頃までに訴外会社の前記坂本精から本件土地の所有権について相続の問題があり、また農地転用許可の関係で登記・引渡が遅れるかもしれないことを知らされたが、更に右坂本からこれらの問題は遅くも同年九月末頃までには解決することが出来ると聞かされ、これを信じこれに一か月の余裕をみて残代金の支払、仮登記・引渡の履行期をそれぞれ同年一〇月三〇日とすることを承諾して本件売買契約を結んだものである。

(ニ)  控訴人は訴外会社に対してそれまで数回にわたつて事業資金を融資し、当時数千万円の債権を有していた関係で訴外会社の経営内容の大要を知つていた。そして同年八月末頃訴外会社が本件手形を取得した直後に右債権の支払手段として訴外会社から本件手形の裏書譲渡を受けた。その際控訴人は訴外会社から同会社の本件手形取得の原因関係として本件売買の契約書を見せられて説明をききその内容を知つた。

(ホ)  訴外会社は被控訴人に対して本件売買による本件土地の所有権移転の仮登記及び引渡を約定の同年一〇月三〇日まではもとよりその後もなしえないまま同年一一月頃事実上倒産した。

被控訴人は訴外会社に対し同年一一月九日到達の書面で本件の仮登記手続及び引渡に関する債務不履行を理由として本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。本件売買契約には当事者は相手方が違約の場合は無催告で解除しうる旨の特約がある。

(ヘ)  被控訴人も控訴人も本件土地の登記番号を知らず、その所有者も壬生某というだけで名を知ることができず登記簿謄本さえもとることができない状況である。

2  訴外会社が被控訴人に対して本件土地の所有権移転の仮登記及び引渡をすることが出来ない理由について。

前記坂本精は当審証人尋問において、それは本件土地に金額九〇円の古い抵当権設定登記が残つていてその抹消が手続上できないことが唯一の原因であるというのであるが、右登記抹消手続をすることができない納得すべき事情の存在については同証言によつても判明しえない。またそのような抵当権の登記の存在は所有権移転仮登記及び引渡の障害とはならないし、本件土地の地目が登記簿の上で畑とされていても同様である(なお右の仮登記というのは当時の所有名義人壬生某から被控訴人への直接のいわば中間省略のものと思われるが明確な証拠は存しない)。その他本件の全証拠によるもこの点の疑問を解明することができない。

3  前記認定の事実によれば、本件土地の売買契約による、売主たる訴外会社の仮登記・引渡の債務と買主たる被控訴人の残代金債務はその当事者間においては相互に同時履行の関係にあつたということができる。そして控訴人も本件手形取得の際にこれを知つていたのである。しかし、土地売買代金の支払のため振出された約束手形を裏書により取得した者が、その取得の際右手形振出の原因関係及び代金の支払と登記・引渡の両債務が同時履行の関係にあることを知つていたというだけでは、結果において期日に売主側の登記引渡の債務の履行がなされなかつたとしても、手形法一七条但書にいう「債務者ヲ害スルコトヲ知リテ手形ヲ取得シタルトキ」に当たると解すべきではない。殊に前記認定のとおり本件手形は被控訴人が訴外会社をして本件手形を利用して金融の便をえさせる目的を含めて振出したものであるから、その取得者たる控訴人に右の如き認識があつたというだけで本件手形の支払を拒絶することはできないと云わなければならない。

同法同条の右但書の適用により被控訴人が本件手形の支払を拒絶しうるとするためには、控訴人が本件手形取得の際に、本件売買契約による登記及び引渡の債務が、その履行期もしくはその後取引上相当とする期間内においても履行できない事情があることを知つて取得した場合でなければならないものと解すべきである。しかるに本件においては控訴人が本件手形取得に際して右の事情の存否を知つていたことを証するに足る証拠はない。前記認定の事実によれば本件手形の振出された時点において売主たる訴外会社さえもそのような事情の存在を知つていなかつた事実がうかがわれ、控訴人が本件手形を取得したのはその後わずかに二日ばかりを経た時点であつて控訴人もそのような事情があることについては何も知らされていなかつたのである。仮りに訴外会社がそのような事情があることを知つていたとしても控訴人にそれを告げるとは考えられない。控訴人は訴外会社に金員を融通していた者であるから融資に必要な事項は告げるにしてもそれに不利を及ぼすと考えられる右のような事情の存在はこれを秘しておくのが通常だからである。

以上のとおり被控訴人の抗弁は採用しえない。

三  よつて、被控訴人に対し本件約束手形金一四〇〇万円及びこれに対する満期の後である昭和四八年一一月七日から支払済に至るまで手形法所定年六分の割合による利息を支払うべき旨の控訴人の本訴請求は正当であつて、右請求を棄却した原判決は失当であるのでこれを取消し、右請求を認容した手形判決を認可する

(裁判長裁判官 松永信和 裁判官 糟谷忠男 浅生重機)

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